2012年3月14日水曜日

二次嫁には触れられない

 

最近気がついたのだが、むしろ触れられないという点は欠点ではなく利点なのではないのかと

 

現実の恋愛なら(二次嫁を愛するとは現実の恋愛とはニュアンスが異なるものだが)、

恋愛の対象は現実のものになる、当然事故で死んだり、触れられる。

 

しかし、恋人として独占できうるということは、裏をかえせば他人に奪われてしまうというリスクを常に考えておく必要がある。

「この幸せが不安」

というたぐいの言葉は恋愛小説などでよく出てくるがまさにそれなのであろう。

 

この世の、断りのもとに存在するものには劣化というものは避けられない。

容姿は劣化する、それでもそれまで紡いでいきた愛は無意味なものではなく、より一層愛を深め合うカップルもいよう。

しかし、最終的には死からは何人も逃れることはできない。

その死が、愛するものが先であった場合、残されたものは悲しみにくれることだろう。それが真の愛であったなら尚更である。

 

話を2次元に戻そう。

二次元に愛するということは、通常の恋愛とは大きく異なる。

まず、実際に抱きしめたりすることはできない、独占もできない。

故に傍から見てみれば、「あいつはモテないばかりに二次元の女の子の絵に恋をしていると思い込むことによって寂しさを紛らわせようとしている」と感じることもあるだろう。

無論、私もおそらくそんな感じの同業者を見たこともあるし、実際にそれが当てはまるタイプのオタクが存在するというのは事実であると思う。

しかしだ、中には本当に二次元の絵の女の子に「恋」をしている人間が要るのは紛れも無い事実なのである。

この場合の「恋」とは、いわゆる性欲を満たすものやそういったたぐいのものでなく、その絵、その者に対する愛着心といったほうが理解しやすいように思える。

また別のものはかわいい絵に癒しを求める、二次元に対する「恋愛」とは、対象が創作物であるゆえに、恋愛のあり方自体も実に千差万別に存在しうるのだ。

 

私にとっては「娘」といった位置づけに近いのかもしれない。

 

 

そんな二次元は創作物であって、現実に存在するものではない。

「●☓は俺の嫁」と誰が宣言しようが、結局それが宣言したもののものになるとは誰も思わない。

対象が意識を持たないので、自分を拒否することはない、よりどりみどりの状態である。

独占できないの延長で、浮気もしない。しかし、自分の脳内の中では独占できる。

 

まとめると、二次元というものが創作者の理想を形にした創造物であって、現実のものでないからこそ

二次元の女性を愛する者たちに対して、愛する自由、愛する形の自由、そのた現実の恋愛ではありえないような自由が可能になるのである。



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