なるほど、賛否両論がわかれたというのは実によくわかった。
シャ●トの悪い部分が強調されている
これまで紡いできた物語を製作の自己満でぶち壊した結果がこれだな
ぶっちゃけエヴァ同様、糞アニメとは言えない
強いて言うなれば、最終局面意外はそこそこ良作
最終局面は完全な糞、評価するにも値しない。
魔法少女も化物にも同様のことを思うのだが
ぶっちゃけ創作映像を作って評価されたいのなら
芸大でも行ってやればいいと思います
なんでもそうなのですが、何かを潰すのって何かを積み上げていくよりも簡単な作業ですよね
まあ、おれと似たような考えの人は少数ながらいるもんだ
エヴァにいたっては批判派はかなり少数だろうね
なんつうか、近未来的で、SFで、少しでも原作に哲学的な要素が入ると、製作は勝手に暴走してしまうのかね?
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あの最終回は、確かに山賀氏しか作れないものでした。
中山文十郎先生の「まほろ」の原型を残さず、上から油絵の具で全て塗りつぶしたのですから。
つまり山賀氏は、自分の独自性を出す欲求にしがみつき、中山先生や視聴者と正面から向き合うことを回避しました。
ところが、最終話肯定派は、その「不整合」を『奥深さ』だと言い、おでんにカクテルの屋台を「山賀監督からの隠しメッセージだ」と嬉々として解読し、その闇の深さに心酔するのです。
残酷ですが、この人々にも私は言いましょう。
それは、猟奇殺人や異常心理者を「社会の矛盾が生み出した彼らは、現代社会を変える突破口だ」と言って褒めそやし、
「マーダーケースブック」や「羊たちの沈黙」を読みあさって知識を蓄え、理解にやっきになる人と同じ、
犯罪マニアの心理でしかないんだよ、と。
決して突飛な例えじゃないですよ、コレ。だって、
みんな5年前に「エヴァンゲリオン」で、犯罪マニアと同じことをしたじゃないですか。
TV最終話も映画版も、伏線も背景も視聴者に伝えられないまま、わけもわからず突き進むシナリオに、みんな翻弄されたじゃないですか。
フリーのライターや若手の社会学者が「現代の青年の叫びがどーたらこーたら」批評を始め、解説本や謎本や思想本があふれ、大人への反抗のシンボルに『エヴァ』を祭り上げたじゃないですか。
ハマった高校生・大学生が聖書や西洋哲学書を生かじりで読みあさり、端切れの知識を継ぎ合わせて『エヴァ』をしたり顔で語ったじゃないですか。
...5年経ち、熱狂も冷めた今、もう一度考えてみて下さい。
ホントにエヴァって、思想史に残るような作品でしたか?
当時の学者の褒めそやし方からすれば、『エヴァ』は50年後に教科書に載っていなければ嘘です。海外へも思想革命として伝えられなければ嘘です。1990年代の青年の心理を語るモデルとして、人類史に語り継がれていかなければ嘘です。
今でもエヴァに思想の可能性を見ている人がいることは知っています。その人たちは再編集版DVDを「買わなきゃ」という気持ちで待っているでしょうし、怒るでしょうね、僕のこの文章。
でも、僕は言うしかないのです。
王様は裸だ。
エヴァは書き殴りの落書きだ。まほろ最終話もしかり。
まほろアニメ2期批判の軌跡030216
http://www2s.biglobe.ne.jp/~varidea/crit09.html
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15 : ななしのよっしん :2009/11/30(月) 18:16:47 ID: 2KuEiqiVSK
シリアス展開もちゃんと作ってくれるなら結構だが、
あの終盤の展開はありえない。それまでやってきた事すべてを制作のオナニーでぶち壊した。
まほろまてぃっくとは (マホロマティックとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%81%BE%E3%81%BB%E3%82%8D%E3%81%BE%E3%81%A6%E3%81%83%E3%81%A3%E3%81%8F
まあ、すべて本質を見失った、ただのマーケティングの賜物だろうが
普通に終われるのに終わらず、原作の雰囲気をもぶち壊す乱雑な作りだった。
最終回は評価するにも値しない、が11話まではそこそこ良作だった。
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