管理者の不要のシステム
Napster
音楽ファイルの交換
wikiより歴史
- 1999年5月 - 起業。ファイル共有ソフトで一躍有名になる。
- 2000年7月 - RIAA、Napster社を北カリフォルニア連邦地裁に提訴、仮決定。
- 2000年10月31日 - 独ベルテルスマン(Bertelsmann)社と、個人間ファイル交換サービスで提携。
- 2001年2月12日 - サンフランシスコ第9巡回区連邦控訴裁判所が、北カリフォルニア連邦地裁に判決の修正命令。
- 2003年5月 - Napster訴訟の原告側でもあるBMGエンタテインメントの親会社、ベルテルスマンが買収を発表するも、9月にアメリカ連邦破産裁判所が再建策を却下。後に、米国のソフトメーカーであるRoxioがNapster社の資産を買収し、すべての知的資産取得。
- 2004年8月9日 - Roxioが 社名を Napster に変更。
- 2005年10月 - タワーレコード株式会社と合弁でナップスタージャパン株式会社を設立。
- 2006年10月3日 - 日本での音楽配信サービス開始。
- 2008年1月7日 - ダウンロード販売の楽曲をDRMフリーのMP3形式に統一することを発表。
- 2010年3月1日 - 日本法人の2010年5月31日を以てのサービス終了を発表。
インデックスサーバを利用したハイブリッド型P2P
Gnutella
Wikiより引用
開発の経緯
2000年、AOL社の一部門であるNullsoftで、当時社員だった Justin FrankelとTom Pepperの二人が、最初のグヌーテラクライアントを開発した。
2000年3月14日、二人はNullsoftのサーバー上にプログラムをダウンロードできる形でアップロードした。この出来事はスラッシュドットで告知されたため、その日の内に数千人がソフトをダウンロードした。ソースコードについては、後ほどGPLライセンスの元で提供する予定だった。
翌日、AOLは法的問題を理由にプログラムの提供を中止し、さらにNullsoft部門にプロジェクトを中止させた。しかしこの措置によっても、グヌーテラを止めることはできなかった。
数日後には、リバースエンジニアリングによってプロトコルは解析され、それを元にグヌーテラ互換のオープンソースクローンが登場した。現在でも、様々なグループが グヌーテラ 互換クライアントの開発を続けている。
グヌーテラ第一世代 [編集]
シャットダウンから間もなくして、Brian MaylandがNullsoftのプログラムを入手して、グヌーテラプロトコルの動作原理を理解するためにリバースエンジニアリングした。彼の仕事のおかげでテキストベースのUNIXプログラムを作ったJosh Pieperや、より使いやすいGUIをもったプログラムを作ろうとしたGene KanやSpencer Kimballのような人々によってソフトウェア開発がなされることになった。
グヌーテラ第二世代 [編集]
ユーザの裾野が広がるにつれ、システムの重大な問題が取り沙汰されはじめた。ネットワークはPINGリクエストで溢れかえり、同時に非常に多くの検索クエリーで高負荷になった。より高速なハブとしての役割を果たすコンピュータに接続した低速のモデムといった形でネットワークのトポロジーは非効率的だった。第一世代のソフトウェアの深刻なバグによってパケットがネットワーク上を不明確にさまよっていた。ネットワークは”本来は少数のユーザのために設計されたもので”100人単位から10,000 単位のユーザに膨張しトラブルに見まわれた。「ただ乗り」や「何も提供していないのにファイルを取り出すだけの人々」によってもユーザが探し物をするのを難しくした。
もう一度、情熱的なコミュニティーが救済に乗り出した。Bob Schmidtが初めてのホストキャッシングシステムを開発した。プログラマー達はGnutella 0.56のコードを修正し、パケットが適切に運ばれるようにTTLのバグを取り除こうとした。そして、Jorge Gonzalesはネットワークをダメにするスパマーたちからネットワークを守る行動に出た。
この時点で、物事は個人の開発者が全てをまかなうにはあまりにも複雑になっていた。彼らはコードを書き、報道やユーザやお金の工面をしなければならなかった。 こういった事情で、早急に商業的な努力が介入し、「救済に乗り出す」必要が出てきた。Clip2はgnutellahosts.comを開発し、より良いホストキャッシュの実装し、いくらかナップスターのようなトポロジーをグヌーテラネットワークに組み入れて合体させるようなやり方で動く小さなサーバーリフレクターを開発した。
ハイブリッド型P2P、訴訟は起きていない。フラッディング検索。Napster同様、解析により多くの類似クライアントの登場。
KaZaA
歴史
Kazaa
2001年3月にニクラス・ゼンストローム氏とジャニス・フリース氏がKazaaを開発し、配布(この二人は、後にskype、joostを生み出す)。Gnutellaの分散特性に、「スーパーノード」を加えたことにより、効率と安定性が上がり、みるみるユーザー数を増やしていくことになる。そして、2002年にオーストラリアのシャーマン・ネットワークス社にカザー社を売却。シャーマン・ネットワークス社は、マルウェアを組み込んだKazaaを配布した為に、マルウェアを取り除いたKazaa Liteが無許可で作られることになる。その後、シャーマン・ネットワーク社は、提訴されていた裁判に和解し、巨額な和解金を支払う。2002年には、Morpheusとのライセンスを巡る問題から、MorpheusをFastTrackネットワークから追い出し、一時は、ダウンロード数が世界一になったと言われていたが、BitTorrentやeDonkeyなどの台頭で、ユーザー数はかなり減っている。
- 2000年7月 ニクラス・ゼンストローム氏とジャニス・フリース氏が開発し、アムステルダムを拠点とするFastTrack社(後にKaZaAに社名を変更)を創業。
- 2001年3月 Kazaaプログラムの配布を開始。2001年4月20日にはFastTrackのユーザー数はおよそ2万人だったが、6月6日にはユーザー数が15万を超える。
- 2001年11月29日 オランダの著作権団体Buma/Stemraとの裁判で敗訴。(後述)
- 2002年3月 KaZaA.comなどのカザーの資産をシャーマン・ネットワークス社に売却。
- 2007年10月4日 P2Pソフト「KaZaA」にシステム乗っ取りの深刻な脆弱性が発見される。
Kazaa Lite
シャーマン・ネットワーク社から配布されることになったKazaaにマルウェアが組み込まれていたために、作成された。Yuri というモスクワ在住者が作者と言われている。オリジナルKazaaがマルウェア付きになった為、乗り換えたユーザーもかなりいたようで、Kazaa Liteのユーザー数は、オリジナルKazaaと同程度のユーザー数だと言われている。
- 2002年3月 KaZaA.comなどのカザーの資産をシャーマン・ネットワークス社に売却。
- 2002年4月 マルウェアを取り除いた無許可修正版のKazaa Liteを公開。
K++について(通称:Kpp)
K++はKazaaプログラムの機能のいくつかを向上させるためのローダ。K++はKazaa Liteをメモリ上に読み込み、プログラムをロードしている間にプログラムコードの部品を改変して、Kazaa Liteによって使用される内部機能を変更する。
- 「さらに検索」の回数を無制限にする
- 複数ソースからのダウンロードの方式を改善
- 参加レベル(PL)を最も高いレベルに固定
- サードパーティ製のDLLをロードしない
- 到達することがないようなソースは.datファイルに保存しない
- デバッグオプション
- ネットワーク名を変更可能
カザー事件
豪カザー事件
2001年10月3日 Morpheus・KaZaA・GroksterをMPAA・RIAAが著作権侵害で提訴
2005年9月5日 豪州連邦裁で敗訴、KaZaAユーザーが著作権を侵害していると判断、開発元にソフトウェアの修正を命じた
2006年7月28日 1億1500万ドルでレコード業界と和解
- この和解をもって、レコード業界が豪州と米国で提起したKaZaAに対する訴訟は終了
蘭カザー事件
2001年11月29日 オランダ地裁で責任ありの判決
2002年3月28日 控訴審では覆され、責任無しの判決
2003年12月19日 オランダ最高裁で控訴審の判決を支持『KaZaA』配布は合法と判断
- オランダの音楽著作権団体Buma/Stemraとの差止請求で勝訴
関連事件
2005年12月9日 米国控訴審P2P利用者に有罪判決
- KaZaAから無料でダウンロードしたシカゴの女性に22,500ドルの支払いを命じた
2006年11月1日 NMPA(米国音楽出版社協会)と和解
- 著作権侵害に対して、相当額の賠償金を支払うことに合意
KaZaAのFastTrackの技術はSkypeにも応用されている。
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